「あなたの顔以外、残りの9割は服なのだ」と言われて、どう思うであろうか? 「私はじぶんも相手も内面で評価する!」と息まく必要はない。これは単なる事実を言っている言葉なのだ。つまり、文明社会で暮らしている我々は、ふだんの生活において首から下は服や靴、小物で肌は覆われているはず、という意味である。そう考えたとき、「ファッションに興味はない」と言い切ってしまえば、自身が他人の目に映っている9割を「どうでもいいや」と言うことにもなるのだ。つまり、「ヒトからどう思われようと、かまわない」と言っているのも同じなのだ。孤独を好んで生きられる環境、たとえばどこにも属さない孤高のアーティストなどであれば、それも許されるだろう。ただし、学生であったり、会社勤めであったり、いろんなヒトと会わなければいけない職業などであれば、少しでもいい印象を与えたいと思うのではないだろうか。
ヒトとのコミュニケ―ションは現代社会を生きる基本条件と言える。周囲から「こんな風に見られたい」と思う自身を、ファッションという非言語のツールで発信することは、充実した毎日を送るうえで重要な要素となる。それこそが「ファッション・コミュニケーション」なのである。そのためには、ただ単に「似あうから」「こんなテイストが好きだから」「流行りだから」という理由で服を選んでいた過去とは決別する必要がある。
まず「なりたいじぶんが着る服」をしっかりとイメージして服をコーディネートすることだ。前述した「モデリング」や「条件づけ」を活用するのも有効だ。そして、「なりたい自分」は「ファストファッションを着た、どこにでもいる不特定多数の人間」、「雑踏に埋もれてしまい、だれの記憶にも残らない人間」ではないということを再認識しておく。
「ファッション・コミュニケーション」は、じぶんが意識せずに発信しているのか、またはきちんとコントロールして発信しているのかによって周囲に与える影響や反応が変化する。流行に敏感になるよりも、自身を一度、じっくりと見つめ直すことが鍵となる。「どうなりたいのか」「どう見られたいのか」という命題をクリアにしておくべきである。もし、はっきりとした答えがでないときは、「モデリング」をしてみる。憧れの芸能人や有名人のファッションスタイルをとにかく模倣することから始めてみる。その場合、なるべく自身の容姿や全体のイメージが近い対象を選ぶとモデリングがスムーズである。
自分が発信したいイメージに合ったファッションが選択できれば、次は実際に誰かと対面し、相手の反応をじっくりと観察してみる。好感触が得られれば、そのファッションはきちんと意図を相手に伝えてくれているのである。期待しない反応であれば、ファッションの手直しが必要ということである。何度か繰り返すことで進むべき道が見えてくるはずだ。ファッションでのコミュニケーションも楽しくなることだろう。