おもてなしファッション

東京五輪招致への最終プレゼンでいちやく流行語になった「おもてなし」。これは「もてなす」の丁寧語にあたります。「もてなす」の語源は「物を持って成し遂げる」で、物は目に見える物理的な物だけでなく、目にみえない事柄の両方を示すようです。つまり、お客さまに対す物理的・精神的、どちらも満たしたサービスを提供するという意味になるわけです。
 他者を意識して行動することが多いのが、現代の社会生活。社会の一員として望ましい行動は、他者に不快感を与えないこと。さらに有能な人であれば、他者に居心地のよい環境を作りだします。他者に居心地のよい環境づくりを考えるとき、服装のことを頭に入れている人は果たしてどれだけいるのでしょう。哲学者で大谷大学教授の鷲田清一氏は著書「ひとはなぜ服を着るのか」(ちくま文庫)で次のように述べています。「夏にお坊さんやご婦人が白い生地の上に重ね着しているあの絽や紗の黒く透けたきものです。これらを重ね着するというのは、本人にはちっとも涼しいわけではないのですから、そこにはむしろ他人への繊細な心配りがあるということでしょう。それはなにより、それを見る人の眼を涼ませるものです」。じぶんが快適であるかどうかの視点から服を選ぶのではなく、相手に心地よさを提供できる装いを選んで相手をもてなす。おもてなしのこころがDNAに刻まれている日本人なら共感を覚えるだろうし、実践することもたやすいのでは? ファッション・コミュニケーションの実践編としても、おもてなしの精神がある装いはとても有効な手段といえます。
 では、おもてなしの服装はどうやってコーディネートすればいいのか。女性がじぶんより背の低い相手と会うときはヒールの低い靴を選ぶ。相手がカジュアルなファッションを好む人であれば、じぶんもカジュアルなコーディネートにする……など、相手を観察して、相手を優位に立たせてあげられるような装いを選ぶ方法も有効です。
 次に、相手の得意とするファッションにテイストを合わせながら、少し間違えた着こなしをしてみるという裏技もあります。そして、「私、カジュアルなジャケットの着かたが分からなくて…」などと、相手からアドバイスがもらえるように会話を誘導するのです。じぶんの得意分野についてアドバイスを求められて悪い気がする人は、ほとんどいないでしょう。つまり、じぶんの弱点を敢えてさらけだし、相手の懐に飛び込むわけです。不利な状況にある相手に同情し、手を差し伸べたくなる心理を「アンダードッグ効果」といい、心理学的にも効果があるとされています。
 訪問先が会社や目的を持ったグループである場合、何らかの集団的特性を持っている場合もあるでしょう。その場合は、訪問先に特性を合わせた服装でじぶんも同化させてしまうといいでしょう。役所や堅実な企業であれば、スーツを着た人が多く働いているという特性があるため、スーツを選択すればなじみやすいでしょう。就活の定番として黒スーツが浸透しているのも、背景にこの論理があります。その場になじんで変な目立ち方をしないように、という意図があるからです。ひとり、個性的なスーツを着た人間が存在すると、その場の雰囲気が変わり、同席する企業側の人も、ほかの就活生も落ち着かない気分になることでしょう。ただ、この不協和音は黒スーツが暗黙のお約束になっているからこそ起こり得る状態。みなが思い思いの服装であれば問題はないのですが……(※私は黒スーツ定番化に意義を唱えたいので、ひと言書き添えておきます)。
 つまり、おもてなしファッションのスタートは「相手のマネをする」ことから。それには前述した五感、そして第六感を駆使した観察が大切。そして相手のファッションが意識的だろうが無意識であろうが、何を発信しているのかを感じとることでコミュニケーションの突破口が開くはずです。そして、ただ観察するのではなく、つねに「おもてなし」を意識する。相手にテイストを合わせる場合、じぶんをなくすのではなく、じぶんと相手を融合させることができれば、さらにGOOD。つまり、じぶんらしさをワンポイント入れておく。型だけをマネするよりも「こちらに共感したうえで合わせてくれている(マネしてくれている)」というメッセージの発信になり、きっと心地よさを感じてくれるはずです。
 ただし、ヒトはあからさまにマネをされると不快に感じる場合もあります。これは「じぶんの価値観を横取りされる」という心理が働き、じぶんの存在が脅かされていると感じてしまうから。マネをする際には、あからさまではなくほどほど、がポイント。なおかつ、じぶんが相手から好意をもたれていない場合は効力が発揮されません。嫌いな相手からこれ見よがしにマネをされても、心地よく感じないでしょう。
 おもてなしのファッションの根幹は、「私はあなたに好意を持っていますよ」というメッセージ。それがスムーズに伝われば、きっと相手も歩みよってくれるはず。好意を示してくれた相手には悪い感情を抱きにくいという人間の心理を「返報性の原理」と言います。そして、好意を示してくれた相手には自然と好意的な態度をとってしまう心理もあります。これは「好意の返報性」と言います。あまり好みのタイプではない異性から何度も告白されるうちに、いつの間にか好意を感じてしまうという恋愛テクニックもこの心理効果があるからこそ、成立するのです。コミュニケーションにしても、何か他のチャレンジにしても、一度うまくいかなかったからとあきらめずに突き進むことが重要。意図した結果にならなくても、能動的な行動ゆえの失敗は「成功のもと」と捉えることができ、次に進む力になるはずです。