第4章 「第五感」とプラスワンを駆使する
●第六感でコミュニケーション
「第六感」とは、何でしょう。大辞泉によると「五感以外にあって五感を超えるものの意。理屈では説明のつかない、鋭く本質をつかむ心の働き。インスピレーション。勘。直感。霊感」などとあります。第六感の身近な例として挙げられるのが「虫の知らせ」。これは、あまりよくない事象が起こる前に体験する、いわゆる「胸騒ぎ」。何の脈絡もなく、ある人のことが気にかかっていたら、後日、その人に何かが起こったことを知る……というような体験談を聴いたり、実際にじぶんが体験したことがある人も少なくありません。この第六感の正体を突き詰めるべく、いろいろな研究がなされています。
物理学者のクラウス・シュルテンは、1970年代に「鳥類は網膜で捉える磁気感覚に頼って移動する」という説を提唱。この磁気感覚は「クリプトクロム」という特殊なタンパク質の働きを利用して得られるそうで、人間の網膜にも備わっているとか。「クリプトクロム」が地球の磁場に影響を受けることで鳥類は磁場を視覚としてとらえていると指摘されているそうです。米・マサチューセッツ州医科大学の神経生物学者であるスティーブンレパート氏が、人の「クリプトクロム」をショウジョウバエの網膜に注入し、羽に巻いたコイルに電気を流して地球の磁場と類似する磁器を発生させたところ、地磁気を感知した行動を示すという実験結果に。この結果から、人間の「クリプトクロム」も地磁気に感応できると考えられるのです。地球の地磁気を感知する能力を第五感の他にある第六感とするなら、人間には第六感が備わっていることがこの実験から証明されるわけです。
対して「第六感は存在せず、それは脳の働きとして説明できる」としたのがオーストラリア・メルボルン大学心理学科のハウ博士の研究です。ハウ博士は被験者に女性の写真を1.5秒見せた後、1秒ほど間を置き、再び同じ写真を見せるという実験を行いました。実験のなかで数回は髪型やアクセサリーなどに少し相違点を設けた写真を混ぜ、被験者が認識できるかどうかの反応を見たとか。結果、被験者が微妙に異なる写真のセットを見せられた場合、細かいポイントの指摘はできなくとも「何かが違った」と感覚的にはわかったそうです。人物写真以外で同様の実験を行った場合も、結果は同じだったとか。博士はこの結果から第六感とは「脳が情報を処理する充分な時間が与えられなかったために起こる勘違い」だと結論。五感によって知覚した情報ではあるものの、脳が具体的な処理結果が出せない場合、そのあやふやさから第六感だと感じてしまうというわけです。
第六感に関して、違うアプローチをしてみます。いわゆる「女のカン」について。一般的に女性は男性よりカンが働くとされ、恋人や伴侶の嘘をカンタンに見破るのも女性の特技とされています。一説によると、これは脳の構造の違いがなせるワザであるとか。というのも、右脳と左脳をつなぐ「脳梁」という部分が、男性に比べて女性のほうが1.5倍も太く、細胞が密集しているため、右脳と左脳の情報交換が適切に行われるのも女性なのだそうです。それゆえ、男性の些細な変化を見逃さない。これが「女のカン」の裏付けになるわけです。
第六感があるのか、無いのかについて、科学的にはいまだ答えは出ていません。ただし、心理学的に言えば、人には第六感はあります。つまり、ヒトは五感から得た情報だけで物事を判断している訳ではないということ。五感から取入れた情報にいままでの経験や知識、好みなどからなる個人独自のフィルターにかけて答えをはじき出しているはずです。これを意識下の潜在意識で、ほんの一瞬のうちに行っています。この個人独自のフィルターは感性と言い換えてもいいかもしれません。
ここで「エピソード記憶」なるものについて、少しお話しします。エピソード記憶とは、個人の経験の記憶のこと。いわゆる「思い出」などのこと。たとえば、今朝は何時に起きたとか、どこに誰と行った……といったじぶんの過去の経験に関する記憶。エピソード記憶には経験そのものと、時間や当時のじぶんの心理状態の記憶も含まれます。1970年代に心理学者であるエンダル・タルヴィングが提唱しました。エピソード記憶は、その名のとおりエピソードの記憶であり、意識せずとも記憶に刻み込まれているものがほとんど。参考までに、試験勉強などで英単語や歴史など、暗記して覚えたものは「意味記憶」と呼ばれます。
エピソード記憶は必要に応じて取り出すことが可能な記憶ですが、意識していなくてもその人の内面に存在しており、ときとしてそれが第六感の正体になるのではないでしょうか。家族や友人のちょっとした仕草や物の言い方と過去の体験を照らし合わせ、そのときの結果に基づき未来を予測する。その予測がズバリ的中したとき、人は「カンが働いた」と思うはずです。
もうひとつ、直感なるものの仕組みを心理学的に「適応性無意識」と言います。心理学者ティモシー・D・ウイルソンは著書に「高度な思考の多くを無意識に譲り渡してこそ、心は効率よく働ける」と記しており、人は状況に応じて思考を意識・無意識のどちらか最適なほうを選択しているとも述べています(「自分を知り、自分を替える;適応的無意識の心理学」より参照)。つまり、ときと場合に応じては筋道を立ててじっくり考えるよりも瞬時の判断が功を奏することもあり、人はそれを本能的に選択していると考えられるのです。人類の歴史の中で、きびしい環境のなかで生き残るために脳や心も複雑に進化を遂げてきたのでしょう。
私たちが日常のなかで第六感や直感だと感じる心の働きは、過去の経験から蓄積されたデータを脳や心が上手に利用して、そこから引出したものだとも言えます。第六感を磨くためには、いろいろな体験を積み重ねるために好奇心旺盛に生きていくことが、重要な鍵になりそうです。
コラム「第六感だけではない!? 第七感、第八感も存在する?」
第七感・第八感は、あまり耳にしたことがない言葉で、大乗仏教用語。第七感は「末那識(まなしき)」といい、「諸感覚や意識を統括して、自己という意識を生み出す心のはたらき。自己意識。空(くう)の考えに反する謝った意識とされる。唯識思想の八識の第七」(三省堂「大辞林」参照)とあります。簡単に言うと、意識せずとも自然にわき起こる感情や感覚のこと、のようです。「末那識」があるがゆえ、人は心の葛藤を抱えたり、感情に流されるなどして悩み、苦しむというのが仏教の考え方。第八感は「阿頼耶識(あらやしき)」と呼ばれ、これは現世を超越した過去性も含めた深層意識の世界を表しているようです。第七感や第八感は、仏教を理解していないとなかなか難しい領域なので、ここではくわしくは取りあげませんが知識として知っておくのもいいですね。